原発ゼロの世界へ

「脱原発社会をめざす文学者の会」(略称・脱原発文学者の会)は、原発や核エネルギーを使用しない社会をめざす文学者の集まりです。
 脱原発文学者の会は、2011年3月11日の東日本大震災、福島第一原発災害が起こってから1年後の2012年10月、福島原発災を忘れてはならないと、文学者有志、編集者有志が声を上げて発足しました。
「辻井喬さん(故人)を囲む会」、「加賀乙彦さんを囲む会」の流れを汲む文学者有志が、脱原発文学者の会を立ち上げたものです。
 私たちがめざす「脱原発社会」とは、太陽光や風力、水力など再生可能な自然エネルギーを基にした社会であることはいうまでもありません。しかし、それだけが「脱原発社会」ではありません。
 そもそも原発と人間は共存できません。
 原発は、諸悪の根源です。
 一度でも原発が暴走するような事故が起これば、大災害になります。大量の放射能を自然界にばらまき、人間はもちろん、あらゆる生命体を危険に曝します。そうした事実は、チェルノブイリ原発災、フクシマ原発災が如実に示しています。
 たとえ事故を起こさなくても原発には害悪がつきまといます。国家や大企業は原発をカネのなる木に仕立てています。原発には、常に巨額の原発マネーがつきまとい、人々を欲望の虜にして堕落させます。地域の人々を分断し、地域の共同体を破壊します。
 原発は地域の経済を原発偏重の経済に変え、地方自治体は正常な町興しが出来なくなり、地域社会は原発依存体制に組み込まれます。
 原発は普段から大量の原発労働者を必要とします。原発労働者は高い放射能に曝されながら、危険な労働に従事させられます。累積した放射能量が一定値を越えれば、原発では働けなくなります。原発はそうした使い捨ての労働者なしには、安全に稼働させることができません。原発は、何千人もの大勢の人間にかしずかれ、常時面倒をみられなければ、安全ではありません。
 さらに、危険なのは、原発は本来核兵器開発を目的としたものであることを忘れてはならないでしょう。原発は核兵器の原料であるプルトニウムや濃縮ウランなどを産み出します。
 原発は、国際テロリストや日本を敵と見る国から、攻撃目標として狙われています。原発一基でも破壊すれば、それだけで国や社会を滅ぼすような大惨事となるからです。
 どうして、このような危険な原発を、日本はいつまでも維持しようとしているのか?
 私たち日本人は、不幸なことにヒロシマとナガサキに原爆が投下され、何十万もの人が被爆して死傷しました。いまも放射能の後遺症で大勢が苦しんでいます。私たちは核兵器のない世界を望んでいます。
 核エネルギー開発の技術は国家のトップシークレットであり、他国やテロリストに漏れるようなことがあっては、国や世界の安全が脅かされます。そのため「原発社会」は、ロベルト・ユンクが『原子力帝国』でいっている通り、国家が国民を監視するような「超管理社会」にならざるを得ません。私たちは人のプライバシーを侵害する監視社会や超管理社会に反対します。私たちは自由と平和を愛し、地球上のあらゆる生命を守る社会を望んでいます。
 原発さえなかったら、東日本大震災に伴う原発災は起こらず、まだ被害は少なかったことでしょう。福島から放射能を避けるため、人々は避難することもなかった。放射能に汚染されなかったら、人々は再び故郷に戻り、昔からの生活を取り戻すことが出来たことでしょう。
 私たちは文学者として、言葉の力、文学の力を信じ、広く世界に脱原発を訴えます。
 原発はいらない。原発ゼロの世界を創りましょう、と。

文責/森 詠